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貝殻化石、エイの食事跡 浜田の畳ケ浦 '05/4/10

 ■水流を噴射 次々と集積

 浜田市国分町の国指定天然記念物「石見畳ケ浦」に千六百万年前、エイが貝を食べた跡が化石として残っている、と千葉大、高知大の研究グループが発表した。貝殻化石が皿状やレンズ状に密集した特異な形。波や海流で掃き寄せられ、くぼ地などに集まってできたと考えられていた。エイの行動から成因を解明したのは初めて。「地質学の博物館」と呼ばれる畳ケ浦に新たな魅力が加わった。

 千葉大理学部地球科学教室の小竹信宏助教授、高知大理学部自然環境科学教室の近藤康生教授たちの研究グループが、学術誌「地質学雑誌」の二〇〇四年十二月号に発表した。

 皿状の貝殻化石密集が多くあるのは、畳ケ浦北東部の「馬の背」「めがね橋」付近の千六百万年前ごろの砂岩部層。露出しているのは、いずれも円形で、直径は七〜三十センチ。貝殻が外周をリング状に取り巻き、厚み(深さ)は二センチから五センチで内側は周りと同じ砂岩になっている。二枚貝は大半が内側を上に向け、大きい貝殻ほど下側に集まっている。

 研究グループは、この付近の地層からトビエイ類の歯化石が発見されていることから、一部エイ類が海底で口やエラからジェット水流を海底に噴射して砂の中で生活する貝を掘り出して食べる行動に注目。水流で攪拌(かくはん)された貝や砂は、重い順に、貝殻の内側を上に沈んで集まったと推定している。

 砂の中のアサリを摂食するエイ類は瀬戸内海や九州で被害をもたらしている。

 古生物の行動学が専門の小竹助教授は「特異な形の貝殻密集層の報告はわが国で初めて。エイ類の摂食行動の進化を解明する手がかりになる」、二枚貝の進化を研究する近藤教授は「畳ケ浦にまだ眠っている情報を掘り起こしたい」と話している。

 畳ケ浦に詳しい県地学会の桑田龍三会長=浜田市黒川町=は「エイの行動までは考えつかなかった。二枚貝の向きなど細かく観察した、いい研究だ。海底から貝殻密集までの深さが分かれば、エイの大きさも推定できる」と話している。市教委は「畳ケ浦の重要性が再確認できた」と、紹介文などに最新の研究成果を盛り込む考えだ。

 ≪石見畳ケ浦≫1932年3月に国指定の天然記念物。中期中新世(約1600万年前)の唐鐘類層(とうがねるいそう)の地層で、高さ約25メートルの礫(れき)岩、砂岩の海食崖(がい)や、長年の波浪によって削られた波食棚4・9ヘクタールが広がる。砂岩層には多種類の貝や流木、クジラの化石が含まれるなど学術資料としても貴重で「地質学の博物館」として年間約40万人の見学者が訪れる。

【写真説明】エイの摂食行動でできたと推定される貝殻化石の密集。二枚貝の貝殻は内側を上に向けている


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