こんなの採れました (その6)

淡路島の和泉層群から恐竜化石発見 と マスコミ公開まで  

採集年月日   2004年 平成16年5月2日(日)

採集場所    兵庫県洲本市近郊

産出地層    和泉層群 北阿万層

時 代      中生代 白亜紀後期 マーストリヒチアン階


ことの発端まで

  1973年頃に、この地域の泥岩層に化石が産出していることを初めて知り、いつかは採集してみたいと考えていた。
  当時の化石仲間の先輩I氏に同行して1976年10月に初めてこの地で採集観察を経験した。
   淡路島の和泉層群の分布地域では当時でも最も広く、新鮮な人工の露頭が観察出来る地域であった。
  初めてこの地で採集した時の成果は、植物片とイノセラムスの断片で、標本として現在残っていない。
  地権者の事務所の庭先に無造作に転がしてあったおよそ50センチ大のイノセラムスの記憶は 今でも鮮明に残っている。
   私の淡路での採集は、このころ西海岸のディディモセラスやプラビトセラスの分布地(西淡層)が主で、海岸や内陸部の
  泥岩の露出地域を歩くのが主であった。
  バブル景気と共に淡路島の和泉層群の分布地のあちこちで大規模な開発工事が行われるようになってきて
  私の淡路島の産地パトロールも忙しくなってきた。

   1985年(昭和60年)に大鳴門橋供用開始される前後、淡路島島内の本州四国連絡高速道路の工事現場の志知奥で
  淡路では珍しい正常巻きの保存のよいアンモナイト(パキディスカス アワジエンシス)の産出が四国のマニアによって
  確認されたことをきっかけに私の淡路島通いはますます激しくなってきた。

  この頃緑町の長田(現南あわじ市広田)で野球場の造成が行われ、化石仲間のS氏とこの地にパトロールに訪れ
  この工事の残土から保存のよいパキディスカスを発見した。(2004/7/13 人博が発表の翼竜の産地と同地)
  この残土でパキディスカスの採集を楽しんでいる間に本四連絡高速道路の工事が、ここ長田の野球場横で始まり
  現在野球場横にある開発記念の石碑の下でパキディスカスが多量に産出し 我々マニアを楽しませてくれた。

  高速道路の工事が一段落した頃、すぐ北側の山地で伐採工事が始まった。
  これが現在、県立ふれあい公園として共用されている造成工事の始まりで、工事は三期に渡って行われ
  二期工事の時は私は結婚・子供の誕生等々で採集に出る機会が取れず、悔しい思いをしていた。
  一方西海岸の西淡町木場の産地では、道路の拡幅工事で、多くのディディモセラスの産出があった。
 

  長田の第三期工事は昭和天皇のご逝去の年(1989年)に始まり、これは着工式の準備をしている段階から化石調査に
  入ることができた、毎週日曜日になると午前2時には自宅を出てフェリーで島に渡り、夜明けを現地で待つという
  生活がおよそ4ヶ月続いた。
  

  この頃兵庫県の自然史系博物館の準備室から、同好の仲間と共に兵庫県の化石採集調査の依頼を受け、淡路を含めた
  県内各地の調査採集に2年に渡って携わった。
  この中で、今回の恐竜化石の産地に平成2年(1990)に 久々に調査採集に入ることになった。
  我々マニアが長田のパキディスカスに夢中になっている頃、その当時高知大学に居られた前田晴良先生らがこの地を詳しく調査をされていて、
  ノストセラスなどのアンモナイトが多産しいてるとの報告があり(岩城・前田1989)、このことを知って地権者に化石調査許可をお願いし、
  調査採集をさせていただいた。 これをきっかけとして地権者の方と面識ができ、その後 何度もお世話になることになった。

  しかし、広い範囲で多量に分厚く堆積した砂岩・泥岩を大量に切り崩しされていたが、ノストセラスなどの化石含有層準は
  小規模で、年々その層準もなくなり、また以前は、搬出前に岩をあちこちに一時盛り上げられ仮置きしていたが、
  数年前より、現地に岩の仮置きは少なくなり、岩の搬出が直ちにされ、現場には見て回る岩がほとんどないという
  状況になって行き、得られる化石もどんどん少なくなって行った。

  それでも新しい発見を期待して、地権者のご好意に感謝しながら、年に数回、採集に入らせてもらっていた。
  前田先生の報告文を参考に、採集調査した結果、ノストセラス・ゾレノセラス・パキディスカス・オオムガイ等の頭足類をはじめ、
  イノセラムス・ナノナビス・ペリプロミア等々の二枚貝類・グロブラリア等の巻貝、ウニも2〜3種、カニ・エビ、また魚の鱗、
  サメの歯・脊椎骨などなど色々採集させてもらっていた。
  中でも、カメの上腕骨を見つけたとき(1992年3月15日)の驚きは今でも記憶に新しい。
  この発見の標本は、日本の化石カメ類の研究の大御所である平山廉先生(現早稲田大学教授)の注目するところとなり、
  現地視察までして戴くこととなった(1992年12月26日)。その後もカメの骨は次々と産出し、
  先生の研究の結果、北海道穂別のオサガメの仲間 (後にメソーダモケリス ウンドラータと命名された) に近いとされ、
  以後この産地で骨化石の産状の特徴が分かり、時々骨化石の断片を見るようになっていった。


  2004年 平成16年、この年2度目の許可を頂いた5月2日、いつものように午前7時には、アンモナイトを比較的に
  良く産出していた上部層へ回って見た。およそ5ヶ月前そこを訪ねたときは、まだ大きく切り崩しが行われていて
  泥岩、化石もちらほら見ることができたのだが、この日の現場はすでに法面は階段状にきれいに整備され、かって
  足元に広がっていた真っ黒な泥岩層は、どんどん赤茶けた風化土で覆われているではないか、
  『あぁ〜 これであのアンモとも遭うことがなくなった』と呆然とした。
  しかし、これまでも化石の割と良く含まれていた層準が現れてはなくなりまた、新しい層準が現れるという
  変遷を何度も経験していた。
  この日も諦めず片隅に少し残された泥岩を舐めるようにくまなく見て回った。
  午前中にパキディスカスを1ヶ、イノセラムスを数個、エビ・カニを1ヶつづ見つけていたが、『これはすごい』と云える
  ものは何一つみつからなかった。
  昼食のおにぎりを食べながら、広い現場を見渡し、大きく変貌していった山腹の変化を思い起こしながら
  過ってのノストが多産した時、パキがころころと採集できた頃の記憶を思い起こしていた。
  

恐竜化石発見の瞬間

  午前中に、これまで良く化石が出ていた区域を一巡してしまったのだが、満足いく成果がなく、あきらめて帰路につくかどうか
  思案していた、時計を見たらまだ午後1時を過ぎたところ、ここで諦めて北阿万層をあとにして南海岸下灘層に行こうか
  とも考えたが、しかし潮準が思わしくないことに気づき、結局午前中の見残しがないか もう一度見回ることにした。
  それから2時間程して成果のないまま2度目の見回りも済み、午後3時半ごろ帰路につく前に、化石は取れないかも知れないが
  北西区域 (以前から何度か入っていたがまったく化石を見なかった区域) をざっとでもいいので見ようと回ってみた。
  奥まった露頭から順に駆け足で回った。午後4時ごろ、この日の採集は最後と思って入った場所でその発見はあった。
  片隅に盛られた岩片の山に取り付いた。そこで目に入ってきたのが、見たこともない代物だった。

  『これは!』
  『穿孔貝の断面か?』
  『いや違う!』 
  『骨の組織が見える!』
  『歯だ。それも大型動物の歯だ!しかも顎付だ!』
  『この断面の反対側はどこだ!』
  『あった!』
  ここまで時間にして数秒、
  『他にはないか?』
  『ノジュールだ!骨の断面が見える』
  『他には!』
            ※穿孔貝  ニオイガイ科のカモメガイの仲間  海底の沈埋木等に穿孔して生活する二枚貝

  この時になって、ようやく興奮も落ち着き始め、冷静になってきて、   
  いつも持ってはきているが現場ではめったに使わないカメラで取りあえず最初に見つけた断面を撮影して

  それから持てる大きさに化石を含んだ岩石を割る作業に取り掛かった。
  
  石を割っていく過程の中で少ない脊椎動物の知識で自問自答を始めていた。

  『この時代 これだけ大きな顎を持つ動物は?』 
  『ここは海に堆積した地層だぞ!』
  『海生爬虫類にこんな歯を持ったものがいたのか?』 
  『これまで淡路で産しているプレシオやモサの歯とはまったく違う』
  『どう見てもこの歯の形からして魚などを食べていた動物でない。』
  『それでは何だ!』
  『草食?!』
  『草食?・・・』
  『草といえば、陸上に生えている。』
  『白亜紀の陸上の大型脊椎動物といえば』
  『恐竜!!!』
  『あぅぇ〜!!』

          恐竜と確信したと同時に興奮で膝がガクガクと震えたのを覚えている。

  『これは大変なものを見つけてしまったぞ!』


恐竜化石調査団結成まで

  5月2日 自宅に帰ったのは午後9時を過ぎていた。
        家族たちも、興奮している私の様子が分かるのか 何が取れたのか聞いてくる
        恐竜かも!!   恐竜?    鳥羽の恐竜の尾椎骨発見の時の経験から家族たちも、その発見の重大さを
        充分に分かっている。
        それは大変なものを見つけたことを充分理解しているようだ。 

  5月3日 とりあえず標本の形が分かるようにクリーニング作業の開始だ
        顎の入った石は扱いやすく、ほぼ半日で顎の全体像は読めてきた。
        数少ない手持ちの恐竜関係の文献資料をあさって見るが、対応するものが見当たらない。

  5月4日 骨化石ではいつもお世話になってる三重県のT氏にメールでクリーニング途中の
        標本写真を添付する。
        T氏から早速の電話  第一声は 『おめでとう!』 『恐竜 カモノハシ竜の仲間でしょう』
        これから先の、発見者としてとるべき手順とか、その時の注意すべきことなど色々と指導を受ける

  5月5日 兵庫県立人と自然の博物館へ恐竜発見を知らせる。
        今後の対応を相談する。
        まだ現場に化石が残っている可能性があることから、まずは現地調査のため恐竜化石調査団を結成することになる
        メンバーは人と自然の博物館の先生方を中心に同好の友の有志があたることになる
        

  5月6日  地権者に恐竜産出を伝え、現地の再調査をお願いし承諾を得る。

  5月11日 人と自然の博物館の先生方が来宅 標本を確認
         今後の調査団の予定等を打ち合わせる
  5月12日 地権者の事務所に出向き、調査団の構成、予定、等を伝える、また採集標本の所属、この発見の公表に付いての
         地権者側の問題点・公表の方法等について打ち合わせる。
         現地を再確認して現場に骨化石が少ないが散乱しているのが分かる。

恐竜化石調査団の調査

  5月16日 第1回調査   天候 雨  

        調査員  人博 小林団長他 5名  同好の友 3名  地権者 1名   計 10名  

        調査時間  午前9時00分から午後3時00分
        調査方法  発見地点の岩石ブロックをハンマーで細かく割り骨化石等の化石を採取する
        現場の状況 当初恐竜化石発見時と現場の変化はなく、付近の露頭から切り出された泥岩また
                砂岩の大岩が積み上げられた状態で、化石を含む岩質は泥岩で、砂岩には含まれていない。
                これらの大岩がどのあたりの露頭から、ここに運ばれてきたかは地権者側でも定かでない。
                残念だが産出層準の露頭の確定は不可能である。
        調査の成果 歯化石1個 ・ 骨化石 5個(尾椎化石を含む) ・ 植物片を多く含む岩片 3個 
                二枚貝類(イノセラムス・エリフェラ・ぺリプロマ) ・ 魚鱗

        今後の方策 今回の調査で調べ切れなかった下位の岩石にも骨化石が含まれている可能性があるが
                現場の岩石ブロックが人力のみでは動かすことが困難で調査するために地権者に重機で
                積み上げられた岩石ブロックを後日広げて頂くことをお願いする。
                
                今回の第1回調査までの段取り、交渉等を発見者個人が行ってきたが
                今後の調査団の計画立案、交渉、段取り、発表までの段取り、マスコミ発表等々の
                諸行事を調査団が行うことになる。
                

        調査スナップ
                 
              雨中の調査風景1          雨中の調査風景2
                
              歯片              骨片1         骨片2         植物片を多く含む岩片

   5月20日 地権者によって重機にで岩石ブロックの押し広げ作業 泥によって岩石表面が覆われいているため
          降雨を待つことにする
     

  5月25日 第2回調査  天候 晴れ

        調査員  人博 小林団長 他5名  同好の友 2名  地権者 3名  計 10名
        調査時間 午前9時00分から午後4時00分
        調査方法 第1回同様に人力により泥岩ブロックを徹底的に細かく割る
        現場の状況  押し広げられた泥岩のブロックは雨に洗われ表面の観察はできる状態になっており
                 1m未満の岩片が点在していてハンマーで割るには好都合な状態になっていた。
                 また、小岩片は反対に風化土と一緒になり雨によって泥となったものが乾燥して小岩片
                 に付き岩の観察が難しい状況であった。
        調査の成果  今回の調査では骨片を含むノジュールを2個・サメの歯・魚鱗・植物片等々が得られた。

        調査スナップ

         
         調査風景1          調査風景2            
            
      骨の含むノジュール       植物片                サメの歯
                    

化石標本のクリーニング

  5月2日の採集品は発見者で、また調査団の採集品は人博でクリーニングは進められた。
   ここでは発見者の標本について記述する
 5月2日採集品
       
右下顎骨 1点
       
     採集時にバラバラに割れた顎骨             クリーニング 第一段階             クリーニングほぼ完了

烏口骨   1点
      
     クリーニング中の烏口骨              クリーニングほぼ完了

頸椎骨   2点
        
     頸骨1 クリーニング中              頸骨1 前面観                   頸骨1 後面観             頸骨1 左側面観

       
     頸骨2 クリーニング中             頸骨2 前面観                    頸骨2 後面観

     頸骨2のクリーニングは部位不明の骨が数多く付着しており、 頸骨のみの分離は現時点でされていない。
     

部位不明の骨片
      
      顎骨(歯骨)・頚椎骨の周辺またはその付近の石には上記写真のような部位不明の骨片が数多く見られた。
      これらの骨は概ね薄くて扁平なものが多く、関節形状を示すものもあるが概して、不定形なものが多い。

クリーニング作業は基本的に鉄工ギリ・針等の用具を使用した。
顎骨(歯骨)に関しては比較的に分離が良くスムーズに進んだが、烏口骨・頚椎についてはノジュールを形成していて、
分離は悪くまた石も硬く困難を極めた。
ことに関節部は骨への石の食い込みが激しく形状を掴むのが難しく、相当傷をつけてしまった。      
また関節部以外の骨表面についても、骨自身の風化等により薄くはがれるように欠損することが多かった。
ことに頸骨2については他所の骨片が融合して保存しており、今後分離しなくてはならない。
クリーニング中の骨間に魚鱗・二枚貝や植物破片などを挟んでいるのが見られ、これらの骨が化石化する時の
環境を推定する際に、これらの事実は貴重な資料となるであろうと思われる。

鈴木大輔先生による標本確認
平成16年7月11日   人と自然の博物館の招きで、今回の恐竜化石カモノハシ竜の仲間の化石研究専門家である
札幌医科大学の鈴木大輔博士が来宅された。
この場にひと博の三枝博士・三重県のアマチュア脊椎動物化石の研究家 谷本氏も同席していただいた。

 
  恐竜化石標本を前に意見交換をする諸先生方       左から 鈴木博士・三枝博士・高橋さん・谷本氏
              (SKコレクション化石標本室にて

鈴木先生から次のようなコメントをいただきました。

 大変貴重な化石を拝見させていただきありがとうございました。
  日本でのハドロサウルス化石ではこの化石が一番インパクトがあると思います。
  ハドロサウルスの特徴のほとんどがあの歯の形に集約されています。
  白亜紀後期のカンパニアン〜マーストリヒアンになってハドロサウルスが大繁栄したのは
  同時期に繁栄した固い被子植物の葉を噛み砕けるようになったため、といわれています。
  その様なわけであの歯骨と被子植物が共産しているのはとても面白いと思います。
  これまでは議論が先だち、実際の被子植物の化石が一緒に出ている例がほとんどないので、
  おもしろい研究ができるかも知れません。

ひと博の三枝先生には今回の恐竜化石調査団の副団長として色々とお世話になっており、また谷本氏にも
調査団の一員に加わっていただき、この恐竜の復元画の製作にご尽力いただくことになっています。
またひと博の高橋さんには調査団によって得られた化石標本のクリーニングを担当していただいています。

恐竜化石を発見して思うこと
  16歳の時から化石を採集してきて、今年で40年になろうとしています。この40年間の中で、化石を求めて色々の地方を訪れ、
多種多彩な化石とめぐり合い、感動と興奮を感じてきましたが、今回のこの発見はアマチュアの自分にとって
今後二度とあるかどうかと云える大変貴重な体験です。
 これまで数々の新発見を経験させていただいていますが、これは私個人だけのものでなく、
それらの基になる情報・知識を与えてくださった諸先生方、また同好の友等々、
また採集の許可をくださった地権者等の皆様方のご尽力があってこそと考えています。
 今回の恐竜化石の産出地の地権者には長年、私どものお願いを快く受けてくださり、
化石の調査採集の許可をくださったことに感謝いたしております。

 恐竜化石発見時に思った『これは大変なものを見つけてしまったぞ!』という言葉の意味は、
まず恐竜という大変貴重なものを発見したことと、これが公表されることによって、以前から地権者の方たちから
お聞きしている無断侵入者の問題で、これまで以上にご迷惑を掛けるのではという
心配があるという点で “大変なもの” を発見してしまったということです。
 これまで日本各地の有名化石産地が度重なる採集者の一部の良識のない人たちの行動によって、
採集禁止という措置が取られることを最近よく耳にします。今後の状況如何によっては、一切の化石採集禁止という、
最も懸念する状況にならねばよいのですが、一般マニアの良識を願うばかりです。
 

最後に

 以上のような経過でこのカモノハシ竜の仲間の恐竜化石は、 平成16年8月3日 午前10時
  兵庫県庁舎 第3号館 10階の一室で記者会見を開き公表された。
 発見からおよそ4ヶ月、初めての経験を数々させていただき、色々と勉強させてもらった。
 ひと博の小林先生・古谷先生・三枝先生を始めとする諸先生方、また同好の友人の方々
 それに遠路北海道から来ていただいた鈴木大輔先生、また地権者の関係者の皆様方、
 また長年お世話になっている地元の平木氏に感謝しこの報告を終えることにいたします。

                                                     2004年  平成16年8月3日

           

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